戦略的工場経営ブログ戦艦大和の生産管理:人時生産性向上へのヒント9

先月のブログ「戦艦大和の生産管理:人時生産性向上へのヒント8」のテーマは、「コア技術の見極めでした」でした。
1号艦「大和」の船体(船殻)建造総工数は2号艦「武蔵」のほぼ半分だったという事実があります。背景には、新たな要素技術の導入だけではなく、新たな管理技術やリーダーシップの下支えがあったのです。
管理技術の重要性は論を俟ちません。ただ、管理技術だけでこれだけの圧倒的な成果を出すことができないのも明らかです、新たな要素技術への挑戦も大事でした。
「強みの要素技術」「発展途上で研究開発が必要な要素技術」「現場の技能として維持すべき領域」を見極めること。これは現場では判断できません
トップ層にしか見えないテーマです。西島技術大佐も新たな要素技術の見極めをしました。安価に早く造るための技術にも挑戦したのです。
技術の見極めと挑戦は、トップ層のリーダーシップでしかできません。
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さて、今回は、「戦艦大和の生産管理:人時生産性向上へのヒント9」です。
外部環境の変化に対応できた企業が生き残ると言われています。外部環境の変化はお客様も直面する事象です。その結果、お客様もドンドン変わります。
ドンドン変わるお客様に対応できなければ、選ばれなくなります。企業は外部環境の変化に対応できなければならないと言われる所以です。
大和建造でも外部環境の変化に直面しました。軍部から納期倒しを求められたのです。建造するのは世界最大の超弩級戦艦、納期遵守だけでも大変だったのでは?そこに当初計画よりも、前倒しの要求が出てきたのです。
どんな外部環境変化があったのでしょうか?そして、それをどうやって乗り切ったのでしょうか?やはり、トップ層のリーダーシップがカギでした。
出典は全て前間孝則氏の「戦艦大和誕生」です。
●大和建造で直面したリードタイム短縮
見込生産であれば、製造リードタイムは製造側の都合である程度コントロールできます。需要を読み、在庫を持ち、山を崩しながら生産する。だから多少の需要変動があっても、社内で吸収する余地があります。
しかし、受注生産では事情がまったく異なります。製造リードタイムは納入リードタイムの一部として組み込まれており、製造現場だけの判断で自由に伸び縮みさせることはできません。
受注生産の現場では、お客様から、しばしば、次の要望が投げかけられます。
「申し訳ないのですが、納期はそのままで、数量を10台増やしてもらえませんか?」 「無理を承知でお願いしたいのですが、納期を1週間前倒しにできませんか?」
こうした要望は、決して珍しいものではありません。むしろ、信頼関係があるからこそ、お客様は口にします。
製造企業の使命は、QCDに関するお客様の要望に応えること、それだけです。
そして、一見すると無理にも思える要望に応え続けることで、信頼関係はさらに強固になり、結果として差別化につながっていきます。
外部環境の変化に対して、柔軟に対応できた中小製造企業だけが生き残ってきました。これは現代の話であると同時に、過去にも繰り返されてきた事実です。
戦艦大和の建造でも、外部環境変化への対応が求められました。
戦艦大和の建造計画は、昭和9年から昭和12年にかけて設計されました。軍令部の要求を十分に取り入れ、当時としては考え得る限り万全を期した計画です。
「起工 昭和12年11月4日」
「引き渡し(竣工) 昭和17年6月15日」でした。
(出典:戦艦大和誕生 上巻359ページ)
その時、日本はまだ平時であり、世界最大の超弩級戦艦を5年ほどかけて造り上げるという、慎重で現実的な目論見だったと言えます。
そもそも、世界最大級の戦艦です。納期を守れるかどうか自体に不安があったとしても不思議ではありません。それほど巨大で、前例のない挑戦でした。しかし、この「平時を前提」で組まれた計画は、その後、急激に意味を失っていきます。
国際情勢は悪化し、日本の国策は一気に総力戦モードへと切り替わりました。大和型戦艦の早期戦力化は、国家の至上命題となったのです。
その結果、呉工廠は厳しい決断を迫られました。呉工場では、下記の決断をしたのです。
「これは容易ならぬことであるので、大至急工事とし、必要の場合は徹夜工事をあえてするという決心で竣工期を昭和17年1月末とすることにし、従業員にも内で時局が切迫しつつあることを訓示して緊褌一番奮起するよう要望した。(下巻66ページ)」
平時の計画から一転し、納期前倒しを前提とした体制へと舵を切ったのです。ただし、前倒しはそれだけでは終わりませんでした。
当時、日米関係は修復不可能なほど悪化していました。開戦が現実味を帯びる中で、軍はさらなる前倒しを要請します。加えて、大和を連合艦隊の旗艦とするため、完成直前で司令官施設の改造という仕様変更まで求めてきたのです。
受注生産現場で言えば、納期短縮と製品仕様変更が、出荷直前に、同時に、持ち込まれたのと同じと言えます。ただ、軍令部からの要望は、呉工廠にとって、命令に等しいです。ここから、呉工廠は火事場の馬鹿力を発揮しました。
最終的な竣工、引き渡し実績は、「昭和16年12月16日」
当初計画の「昭和17年6月15日」から、実に半年も前倒しされたのです。
そして、そのわずか8日前、昭和16年12月8日に、真珠湾攻撃が行われました。昭和12年に設計・計画した時点では、誰も予測できなかった外部環境の激変です。
重要なのは、この変化に対して、国の存亡がかかったことととは言え、関係者が「無理だ」とあきらめなかった点です。外部環境は選べません。その変化にどう向き合うかは、組織の意思で決まります。
戦艦大和の建造に関わった人々は、前提が崩れた現実を直視し、そのうえでリードタイム短縮という難題に挑みました。ここには、トップ層の判断と覚悟があったことを、私たちは見落としてはなりません。
●リードタイム短縮に貢献した実物大模型
これまで、大和の建造を「安く、早く」進めるために投入された、さまざまな要素技術と管理技術について触れてきました。早期艤装、ブロック建造法、電気溶接といった要素技術に加え、西島式能率曲線のような管理技術です。
これらはいずれも、人時生産性を高め、リードタイム短縮に寄与しました。その中で、地味ながら、極めて重要な役割を果たしたのが「実物大模型」の活用です。早期艤装で使われます。
戦艦大和の建造において、巨大なバイタルパートの実物大模型が製作されました。バイタルパートとは、艦の防御の要となる部分であり、弾薬庫や機関部など、艦の生命線にあたる重要区画です。ここは艤装工事の中でも特に精度と確実性が求められる領域でした。
艤装工事とは、進水を終えた船体に対し、エンジン、配管、電気配線、武装、艦内設備などを組み込み、船として機能する状態に仕上げる最終工程です。船体が「骨格」だとすれば、艤装は血管や神経、内臓を取り付け、命を吹き込む作業だと言えます。
この工程が滞れば、いくら船体工事が早く終わっていても、全体のリードタイムは一気に伸びてしまいます。
通常の艤装工事では、進水後の船体上へ、取り付ける部材を運び込み、現物を突き合わせながら穴あけや調整を行います。しかし、大和の船体は甲板や隔壁の鋼板が非常に厚く、現物合わせでの穴あけ作業には多大な時間がかかりました。
一か所が詰まると、その後工程がすべて止まってしまいます。大和の建造では、従来の艤装工事をそのままやっていたら、工事全体が、まさに、リードタイムを引き延ばす典型的なボトルネックでした。
そこで採用されたのが、実物大模型の製作です。
工場内に実物大模型を作り、そこであらかじめ穴あけや取り合い確認を済ませておく。そうすることで、船上での現物合わせ作業を大幅に削減できました。ボトルネックを前段取りで解消し、艤装工程を一気に流せるようにしたのです。
このやり方に対して、当初は懸念の声もありました。実物大模型を作る手間と時間が増え、かえって工期が延びるのではないか、という疑念です。
受注生産の現場でも、「そんな準備をしている余裕はない」と言われがちな判断でしょう。しかし、結果は正反対でした。実物大模型が完成し、艤装工事が始まってからの進捗は、目を見張るものがあったと記録されています。
重要なのは、ここで行われた判断が、現場任せではなかった点です。どこに手間をかけ、どこで時間を回収するのか。この見極めは、現場ではなくトップ層にしかできません。
短期的な工数増加を受け入れ、中長期でリードタイムを縮める。この発想そのものが、管理技術であり、経営判断です。
実物大模型は、単なる技術的工夫ではありませんでした。工程全体を俯瞰し、ボトルネックを見抜き、そこに資源を集中投下するという、生産管理の本質を体現した取り組みだったのです。
世界最大の超弩級戦艦という前例のないプロジェクトにおいて、半年という大幅な前倒しを実現できた背景には、こうした技術の見極めと、トップ層の的確なリーダーシップがあったことを、私たちは改めて認識する必要があります。
●作業者ひとりひとりの使命感と誇り
どれほど優れた要素技術や管理技術が整っていても、それを使いこなす現場の力がなければ、リードタイム短縮は実現しません。技術は道具にすぎず、結果を出すのは人です。
戦艦大和の建造においても、この点は例外ではありませんでした。大和に携わった工員たちは、極限とも言える状況の中で、驚くほど静かに、しかし確実に仕事を積み重ねていきました。
納期が前倒しになることを知らされても、従業員たちは黙々と頑張りました。
「日米関係が緊迫の度を増していることを大和に従事する工員たちは新聞報道などで知っていただけに、とくにこれと言った反発が出ることもなく、黙々とは働く日々であった。(下巻66ページ)」
これは精神論で片付けられる話ではありません。背景には、トップ層が状況を隠さず伝え、なぜ急がねばならないのかを共有していた事実があります。
目的が見えない残業と、目的が腹落ちした残業とでは、現場の受け止め方はまったく異なります。
やがて、日本が戦争という選択を避けられない局面に入ったとき、現場はさらに厳しい局面を迎えます。 その時点での現場の頑張りを、造船部長だった庭田尚三技術中佐は次のように語っています。
「いよいよことの重大なるを知らされたので、残る半年は準戦時状態の態勢で一言の文句も言わずに竣工期を12月中旬におさえて一路これが完成に邁進した次第でした。かくして従業員一同打って一丸となった呉工廠魂は爆発し、残業につぐ残業、徹夜につぐ徹夜業をものともせず、炎暑の夏をただ一心に仕事と取り組んだことは特筆に値することであって、上司としてただただ感激するばかりでありました。(下巻69ページ)」
さらに、艤装工事を担当した運用長・宮田栄造氏は、次のように振り返っています。竣工(引き渡し)が昭和16年12月中旬と言うことは、艤装工事の完成はさらに手前になるのです。
「はじめの計画では、12月1日に艤装工事を完了する予定だったが、急に軍側より、その完成期日を11月15日頃と変更され、昼夜の別なき突貫工事がつづけられた。しかし、だれひとりとして不平を言うものもでず、寝食を忘れて工事に没頭したのである。(下巻70ページ)」
ここから感じ取れるのは、単なる「頑張り」ではありません。自分たちが担っている仕事の意味を理解し、その重さを引き受ける覚悟です。国の存亡を左右する仕事に携わっている使命感と誇りが、現場を支えていました。
そして、その使命感を引き出したのは、間違いなくトップ層のリーダーシップです。上記の引用文に、現場を導く上司の想いが垣間見えます。
経営者や工場長の言動が、現場の空気をつくります。作業者のやる気とは、指示命令で生まれるものではなく、トップの姿勢によって引き出されるものです。
●外部環境の変化に対応する
外部環境が変われば、納期も変わります。戦艦大和を建造していた呉工廠も、そして今を生きる中小製造企業の現場も、この点では何ひとつ変わりません。為替、資材価格、地政学リスク、顧客都合。外部環境は、こちらの準備を待ってくれないのです。
こうした変化に直面したとき、現場の頑張りだけで乗り切れるほど、現実は甘くありません。必要なのは、変化に耐えられる土台です。それが、適切に選び抜かれた要素技術であり、それを活かし切る管理技術です。
さらに言えば、その両者を「いつ・どこに・どれだけ使うか」を決断するトップ層のリーダーシップが欠ければ、どれほど優秀な現場であっても力は発揮されません。
戦艦大和建造時のリードタイム短縮が教えてくれるのは、偶然や精神論ではありません。「要素技術と管理技術」、そして「トップ層のリーダーシップ」。
この三つが揃って、はじめて外部環境の変化に対応できるという事実です。どれか一つが欠ければ、組織は簡単に立ち行かなくなります。
貴社はどうですか?
外部環境が急変したとき、その変化を現場任せにしていないでしょうか。あるいは、過去の成功体験に縛られたまま、意思決定を先送りにしていないでしょうか。
答えは、現場ではなく、経営者自身の中にあります。
